「1Q84」読みました2

主人公達の思考の仕方についても、(青豆、天吾、牛河も)、それぞれ想像を働かせて、何かを考えますが、何の確証もないまま、その想像を盲信するような展開が気になりました。

ある考えを思い付いたら、それが確信になり、さらにそれを前提に、考えを進める…そしてなぜかその通りになる…。

青豆と天吾がお互いを求めあっていると感じるとか(例えばBOOK2の最後で、天吾が青豆を探そうと決心するとことか、何もないのに唐突な気が…(しかもあまり探してない)。

他にも、BOOK3で、青豆が身ごもった時、これは天吾の子だと確信したとか…自分の分身「ドウタ」とか教祖の深田保の子とは思わないの?)
それから子を守ろうとする。

ストーリーについては、青豆が、教祖を殺すと、教団が血の果てまで追い詰めるようなことを言っていたのに、それも実現されなかった。

というか、二人の話がリンクし、展開し始めたのは、BOOK2の後半で、どうなるのかと思ったら、BOOK2のラストで、青豆は、自分の口に銃を突っ込み、天吾は、青豆を探そうと大袈裟に決心するだけで終了…。

確かBOOK2が出て、しばらくしてから、BOOK3が出るまで、BOOK3が書かれていることは、世間には知らされてなかったと記憶しています。

読者は、BOOK2のラストで納得(満足)したのかな?

BOOK2のままでは、リトルピープルって何とか、ふかえりはどうしたのか、とか様々な事が未解決というか、青豆と天吾、一回も会ってないし。

主人公に感情移入もできませんでした。
青豆が泣くシーンがありますが、なぜ泣くのか、説得されませんでした。
(自分に感受性がないのでしょう。)

BOOK3で、天吾と青豆が会い、月が二つある世界を青豆は、「1Q84年」と呼び、天吾は、「猫の町」と呼んでいて、2人は同じモノを見ていると青豆が喜ぶところも、天吾は、千葉県の千倉を猫の町と言ってたんじゃないの?とかいちいち思っちゃいました。

でも、部分的には、好きなシーンがありました。
物語の一部ではなく、短編としてなら良いなと思うところがあったと思います。
(ねじまき鳥クロニクルも、ノモンハン事件だけで、独立した小説だったら、すんなり良いと思っちゃうのに、物語の一部になると、何か理解できなくなります。)