村上春樹さんの作品

過去の作品、「ノルウェーの森」あたりまでは、ついていけましたが、「ねじまき鳥クロニクル」以降、ついていけず…。

それが、自分でも「なんでかな~」と思っていたの(ずっと熱心な読者は多いのに)ですが、少し気付きました。(当たり前のことですが。)

ノルウェーの森」までは、自分(読者)の中に、共感できるものがありました。また共感できるものが作品の主題でした。当時から「ノルウェーの森」を純文学と言っていたように、感傷的な感覚を含め、私小説的な内面がメインで描かれていました。

それ以後の「ねじまき鳥クロニクル」、「海辺のカフカ」、「1Q84」では、自分(読者)の中にないものが、主題になっているように思えます。
内面を描く私小説ではなく、物語。
自分(読者)の中にないものを描く。

ねじまき鳥クロニクル」以降の作品の中にも、ノモンハン事件や父親を看取ることなどを扱い、部分的には、私小説的な面を見せていますが、それが、作品全体の主題ではない。

自分(読者)の中にある共感できるものではなく、新たなモノを描くのだから、それをどう感じるかは、自分(読者)に任されています。

また、自分(読者)の中にないものを描くということは、自分(読者)にとって、作品の主人公は、共感する特別な存在ではなく、作品の登場人物各々が平等に存在していることになりそうです。
その意味からも、一つの結末や一つの解釈は、受け付けないのかも知れません。

「話の意味が分からない」というのは、自分の中にしっくり来る共感が湧いてこないということなのでしょう。

ある意味、「ねじまき鳥クロニクル以降」の作品から受ける感情・感想は、とても特異なモノなのかなと。
(作者にとっても?)
それを感じることが、村上春樹さんの作品の味わい方なのかと最近、思いました。
…違うかな。